東京高等裁判所 昭和30年(う)1644号 判決
被告人 鈴木光夫
〔抄 録〕
一、論旨第一点。
なるほど、起訴状中に「折柄右方虎の門方面より左方新橋方面に向い走行中の長岡長次運転の事業用小型乗用自動車第五―六六四二三号の左後部に衝突して同車を左に横転させ」「次に左方新橋方面から右方虎の門方面に向い進行中の三浦幸男運転の事業用小型乗用自動車第五―七六三六五号の右側部に衝突して左に横転せしめ」とあることは、所論のとおりであるが、器物損壊の罪におけるいわゆる物の損壊又は傷害とは、要するに物の効用を害することをいうのであるから、右記載をもつて器物損壊の罪の二個の起訴があつたということはできない。
尤も、起訴状には、右前段の記載に引き続き、「その際左前フエンダーが凹損し左前輪が左に向かなくなつたので慌ててハンドルを切り急ブレーキをかけようとしたが、ブレーキペタルと錯覚してアクセルペタルを踏んで却つて加速させ云々」の記載はあるが、元来、本件公訴の提起は、起訴状の記載によつて明らかなように、自動車の運転者としての被告人が、飲酒の上酩酊運転による事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠り、敢て、無謀にも飲酒酩酊して自動車を操縦運転した過失によりその自動車を右所論に挙げるような過程を経て他人の操縦運転する三台の自動車に順次衝突させて原判示各傷害の結果を発生したというに在つて、右左前フエンダー凹損の事実は単に、右傷害の結果を惹起した因果の関係を明らかにしているにすぎないばかりか、過失による器物損壊の所為を犯罪としている刑罰法令なきことにも考慮を致すときは、本件公訴の趣意は、業務上過失傷害についての審判を請求するに在ることが自づから明白である。されば、原審が、判決の上で器物損壊の事実につき敢て判断を示すところがなかつたからといつて、審判の請求を受けた事実につき判決をしなかつた違法があるとの所論は採用するに由がない。論旨は理由がない。
二、論旨第四点。
原判示事実は、原判決挙示の証拠によつて明らかに認め得るところ、原判示被告人の所為は、要するに、論旨第一点においても挙げているように、自動車運転者としての被告人が、飲酒酩酊の操縦運転による事故の発生を防止すべき業務上の注意義務を怠り、敢て無謀にも飲酒の上酩酊して自動車を操縦運転した過失により原判示過程を辿つて原判示各傷害の結果を惹起したというに在るのであるから、飲酒酩酊による操縦運転は、本件過失行為の内容を為し、本件被告人の所為は、一面業務上過失傷害の罪に該当すると共に、他面同時に道路交通取締法第七条にいわゆる酒に酔い正常な運転のできない虞があるにかかわらず自動諸車を運転して無謀な操縦をした罪に該当することが明らかであるから、以上は、一個の行為にして数個の罪名に触るる場合に当るものと言わざるを得ない。本件被告人の所為をもつて、右二個の併合罪があるとする所論は採用できない。所論引用の大審院判決及び札幌高等裁判所函館支部の判決は本件に適切でない。論旨は理由がない。
三、論旨第五点。
所論は、本件業務上過失傷害の罪は、飲酒酩酊による心神喪失ないしは心神耗弱の状況の下で発生したもので、当然刑の免除ないしは減軽を為すべき場合であるにかかわらず、原審は、これを為さず、且つ被告人は検察官の取調に対する供述及び原審裁判官の質問に対する答においてそれぞれ業務上過失傷害の所為が、飲酒酩酊による心神喪失ないしは心神耗弱の状況の下に起きたものであるという趣旨の主張をしているにかかわらずその判決においてこれに対する判断を示していない違法があると主張している。しかしながら、凡そ飲酒酩酊の上人馬の往来する街路を運転走行するときは、自動車の接触衝突等の事故により人畜に危害を及ぼすことの虞のあることは、特に自動車の運転者にかぎらず何人も充分知悉しているところに属し、苟くも、自動車運転者においてその自動車を運転するに当つては、少くとも正常なる運転のできない虞のある程度の飲酒はこれを抑制し、運転によつて発生すべき事故を未然に防止するよう注意すべき義務があるといわなければならないから、自動車運転の普通免許を有し、セイロン公使館の自動車運転者として自動車の運転に従事している被告人が、飲酒前その精神の正常でないことを記録上疑うべき事由の認め得らるるに由のない本件において、右注意義務を有するにかかわらず、原判示認定の如く敢てこれを怠り、飲酒酩酊して自動車を運転した結果他人の運転する三台の自動車に順次接触衝突して原判示各傷害の結果を発生したことの明らかな以上、その所為において到底業務上過失傷害の罪の成立あるを免かれない。本件原審における犯罪の本質上、飲酒酩酊後における心神喪失ないしは心神耗弱というような精神状態は責任能力の問題として特にこれを考慮に容るるの余地はない。
原審が、被告人を精神正常者として前示趣旨の注意義務違背を内容とする過失行為を認定し、これが所為につき業務上過失傷害の罪の成立を認めたことは正当である。而して被告人の検察官ないし、原審裁判官に対する飲酒酩酊に関する供述は、それ自体本件過失の内容を明らかにするものではあつても、飲酒酩酊前における被告人の精神状態に関して所論のような主張をしているものとは到底言いえないから、原審が、前示趣旨の注意義務を内容とする被告人の業務上過失傷害罪の成立を認めたものである以上、特に犯行時における被告人の精神状態についての判断を判示すべきかぎりではない。論旨もまたすべてその理由がない。
註 無謀操縦(無資格運転)と業務上過失傷害の関係につき異趣旨三〇・七・二五第九刑事部判決